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ろーずまりー

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行商のおばさん♪

5歳~8歳まで暮らした海の町。
夕方になると、『行商のおばさん』がお魚を沢山乗せた重たそうなリヤカーを引いて来ました。

『行商のおばさん』の名前は知らなかったと思います。
『行商のおばさん』が固有名称で『行商のおばさん』=魚屋のおばさんでした。

海のある町でしたが、港がない町だったので、『行商のおばさん』は1時間くらいかけて「汽車」に乗って行商に来ていました。
だんなさんが漁師だと聞いた記憶があります。

「カラ~ン、カラ~ン」とベルを鳴らしながら、『行商のおばさん』がやってきます。
「ALWAYS 三丁目の夕日」に似たようなシーンがあった気がします。

「『行商のおばさん』が来たよ~!」と母を呼びに行きます。
頼んだお魚を「天秤ばかり」で測って、必ず「ちょっとオマケしておくね!」と言ってくれました。
その時の笑顔を今でも鮮明に覚えています。

お魚が食べたかったのではなく、「買う」行為が楽しくて、お魚を買ってもらっていたと思います。
「食べたいっていうから、買ったんでしょう!」と母に叱られた記憶もあります。

遠い昔、幼い頃の想い出です。

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箱根の想い出

数年前の桜の季節、北海道から遊びに来た、母と伯母を連れて箱根に1泊旅行に行きました。
連れて行ったと言っても、私は初箱根、母や伯母はツアーの旅行で何度か行ったことがある状況でしたが・・・。

箱根フリーパスを購入して、いざロマンスカーに乗車。
女3人集まれば、姦しいの言葉どおり、にぎやかな珍道中です。

ガイドブック両手に、桜の名所や大涌谷、芦ノ湖などを、バスやケーブルカー、ロープウェイで巡りました。

宿泊先の温泉パークは若者向きで、歳を重ねた母たちは、普通の温泉でいいと、不評でしたが、近くに箱根駅伝のカメラポイントとなっている標識を見つけ、嬉しそうに記念撮影していました。

後で聞いたところ、一番の思い出は「東海道跡」を歩いて、「茶屋」で休憩したことだそうです。
ツアーの旅行では経験できない、のんびり旅が良い思い出になったそうです。

でも、本当の一番の思い出は、3人で旅行できたことだと思います。
若い頃の私は、入院ばかりで母にも伯母にも、沢山負担をかけてきました。
元気な私と旅行できたことが、一番嬉しいことだったのだと思っています。

今度の箱根旅行は、母の長年の夢。「箱根駅伝を箱根で応援する!」を実現したいですね。

      

余命半年と宣告されたら・・・

延命は望まない。
余命半年が数ヶ月延びても、治療で病院に拘束される時間より、自分で自由になる時間を選びます。

多分、宣告されても、動揺はしないと思います。

十代半ばから二十代はかなりの時間を病院で過ごしました。
16歳の入院では6人部屋で、私以外の5人の方は半年以内に亡くなりました。
思春期の私にはかなり衝撃的なことでしたが、その時に死は怖がることではなく、受け入れるものと感じたことを覚えています。

父が心筋梗塞で倒れたとき、最低限の迷惑をかけないように仕事を終わらせ、友達と食事に外出していた母を捜し歩いてから、病院に行ったら、姉に「冷たい・・・」と泣かれましたが・・・
動揺せずに受け入れることができていたのだと思います。
(その後、父は回復して健在です。)

だから、自分の時も受け入れられると思います。

残りの半年をどう過ごすかは、その時になってみないとわかりませんが、普段と変わらない生活を望むと思います。

そして、私が死んだときに悲しんでくれる人たちに、悔いを残させない時間のすごし方ができるといいですね。


  象の背中 象の背中

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